安全性優良事業所認定証(Gマーク)と引越優良事業者認定証をそれぞれ昨年12月に 頂きました。Gマークは更新、引越安全マークは新規です。
いずれも期間は平成27年1月1日より29年12月31日までの3年間です。
これで名実ともに一流会社の仲間入りできるよう、全社員一丸で精進していく所存です。
皆様の暖かいご指導をお願い申し上げます。
安全性優良事業所認定証(Gマーク)と引越優良事業者認定証をそれぞれ昨年12月に 頂きました。Gマークは更新、引越安全マークは新規です。
いずれも期間は平成27年1月1日より29年12月31日までの3年間です。
これで名実ともに一流会社の仲間入りできるよう、全社員一丸で精進していく所存です。
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札幌にもようやく雪が積り年寄りには厳しい寒い長い冬に突入したが、少しだけ良いこともある。それは夏の間は閉め切った暑い部屋でパワーアンプから出る熱と戦いながら好きな音楽を聴くには体力を消耗し長時間聴くのは厳しかった。しかし今は部屋を暖めれば長い夜を音楽に浸りながら快適に過ごすことができる。
そんな訳で今日は普段あまり聴かないマーラーのLPレコードの交響曲を聴くことにしてレコード棚を探していたら大事に保管してあったそれが見つかった。
デビュー10年目の当時若手のジェームス・レバイン指揮するフィラデルフィア管弦楽団が演奏するマーラーのシンフォニーNO9で、このLPは1980年2月23日にハワイで購入したレコードである。
当時の物価は現在の1/3ぐらいだったと記憶しているが、LPの値段は今とあまり変わりなく、乏しい小遣では月1枚買うのがやっとで、マーラーのような2枚組が多いLPはなかなか買えなかったが、旅先での気持ちの高揚もあってか4~5枚のLPを買って大事に持ち帰った記憶がある。しかしこのマーラーのLPの他には何を買ったか全く覚えていない。
このLPだけ何故記憶に残っているかというと、帰国後このLPを聴いたとき、第一楽章を聴いて第二楽章を聴くためLPを裏返しにしたところ、なんと裏面は第四楽章になっていた。
びっくりして2枚目のLPを見たら第二楽章と第三楽章になっている。今まで買ったLPで第一楽章の裏面が第四楽章だったものはなかった。アメリカではこれが普通なのか。第一楽章を聴いて一旦LPを仕舞って二枚目を聴いてから又1枚目に戻るという面倒くさいことをやるのか。ひょっとしてレーベルの貼り間違いかとも思ったが、確かに裏面は第四楽章になっていた。
そうするとこれは珍品のお宝LPか。いやそんなことはありえないし聞いたこともないなどと、当時悩んだことを思いだしながら聴いていると廊下を隔てた向かいの部屋から、”うるさくて寝れないから音を小さくして” と、妻の怒鳴り声。 人生黄昏
帰宅する車のラジオからヘレン・メリルのユード・ビー・ソー・ナイス・ツウ・カム・ホーム・ツウが流れていた。
何の気なしに聴いていたが声に艶があって若々しく聞こえた。 やがてピアノ、ベース、ドラムの掛け合いに変わってしばらくしてトランペットが加わった。
そのトランペットを聴いてあっと思った。このトランペットの演奏者はクリフォード・ブラウンではないか。
そうするとこの歌はあの有名なアルバム、1955年録音のヘレン・メリル・ウイズ・クリフォード・ブラウンのアルバムに入っている歌だ。
それにしてもこのトランペットの演奏は凄い。なんて凄いテクニックだろう。完璧な演奏だ。 聴いているうちに目頭が熱くなり思わず天を仰いだ(運転中ごめんなさい)。
彼は翌年若干25歳で交通事故に遭って 亡くなっている。演奏テクニックは当時4歳年上のマイルス・ディビスより凄いと言われていた。 彼が長生きしていたら、ジャズ界の帝王マイルスとの関係はどうなっていただろうなどと、あれこれ考えながら家に着いた。
早速レコード棚を探すと大切に保管してあったLPを見つけた。
家のオーデオで改めて聴いてみたがもう先ほどの感動は 起らなかった。
感動は時と場所を選ぶものか。
夕食時に妻に感動した話をしたら、一言、「単に歳をとって涙もろくなっただけの話でしょ」。 人生黄昏
古きをたずねて新しきを知る...。
有名な言葉だ、雑誌をみて、このことばを噛み締める気持ちに
なった。
何故、私がそのような気持ちになったか解らない。
その年齢になったのか、それとも精神的に成長したのかと、一瞬
思いを巡らせながら母に、バナナを食べている最中に「もう、いら
ない」と、言う口癖が始まった。
時々、おこる現象だ。私はその様に捉えて根気よく「バナナだよ、
もう少しで無くなるから」「口を大きく開けて」といって聞かせて、
今日まできている。
本来の目的は、朝と昼食をあまり食べないと施設の方にいわれた
時期が多かったので、この様になったのが始まりかな。
バナナを選んだのは、母の年齢と照らし合わて、昔は高価で、運動
会でしか食べれなかった物だからだ。
おいしいバナナを、食べ終わって「日本に帰りたい」と、いいだしたの
には、驚いた。
私は、「ここは、日本だよ」と、母に対しての状況判断なしで出た言葉だ。
しっかり者の母でも、まどろみの中で状況を間違ったかと。
多分、バナナの臭いで情緒不安定になったのだろうか。
何せ鼻のきく人だから。
そのようなことを思うと...、悲しくなる。
今の母は、過去を思い出すだけで、新しきを知るところに気持ち
をもっていくこと出来ないのだ。
でも、私は願うよ。
しっかりしてくれよ「母さん」と、思いを改めて。
春風するめ
母に会うとき、意識があるだろうかと思いながらベッドに横た わっている姿を盗み観るような気持ちでいてしまう。 この姿勢が、良い事なのだろうかと自問してしまうが、答えのな い状態がつづく毎日である。 そんな中、施設にお医者さんが往診にいらっしゃるのである。 意識あれば、ほどほどの返事をする。 こんな状態にならないときは、事を成してきた人に対して敬意 を表する言葉遣いをしていた母である。 身体を診てくれているのに、どこか触って痛かったのだろう。 「痛ーい」っと、大声で叫ぶといった表現できることばを使う。 困ったものだと、思っていた。 それから、幾日過ぎたろう。 老人ホームの職員が、「○○さん、お風呂に入りましょう」と声を 掛けると、「私は、午後から入ると言ったでしょう...」と、文句と 理屈を機関銃で弾を発射させている状態の早口でしゃべって いた。 この老婆は、机に俯いてテレビも観ないでいるのに。気に入ら ないことがあると、自分の立場というか、人の手を借りないと 自分自身で身体を動かすことも出来ないのに。 文句をいうのを抑えろよと、私は悪口を言いたくなる。 まだ、誰にもそのような事を、話した事もないけど。 その姿を見て、「母だけではないのだ」と思うと、安心した。 別に大した理由もないのに、何故だろうか。 この問いかけがあるうちは、私が、正気という事だろうと思う ことにした。 春風するめ
わかっているはずなのに、周りを見ずにする親切こころが
仇になることがよくある。
このところ暑さが続く、31度もった日に母に会いに行った。
その老人施設で「寒いさむい」と大声で叫んでいた人がいた。
手をすりあわせていたので、「寒いの」と、声を掛けて手を取
ると「何するんだ」と大声で怒鳴られた。
ビックリしたが、私の声が聞こえていなかったらしい、もう一度
「寒いの」いいながら「手をとったのだよ」と、いうと爺さんは、
ニコニコ顔になった。
チョットした親切心でする行動が、一瞬の誤解を与える事が
あるのだと知らされる場面だ。
何も、相手が年寄りだからではなく、自分の都合からくる合理
的行動が起こすな安易な判断だったかも知れない。
それとも、誰かに声を掛けて、別な人に援助を求める役割を
しても良いのだろう。そこまで考える必要があるのかと。
ある程度の肝を据える行動が、いつも求められて要るのかも
知れない。
そのような思考回路が出来上がってしまうと、どのような相手
とでも話がうまくいく。
施設で働いている人達は、人生の最終の手前の人達を相手
に介護している。その事を身をもって実行している人達なの
だと、改めて彼らに頭が下がりました。
春風するめ
8月3日千歳航空祭に行ってきました。今回は3年ぶり6回目の参加です。
5時に起きて朝7時にJR南千歳駅前に着く。7時半発のシャトルバスに乗って良い撮影場所を確保しょうと思ったらもう長蛇の列。
ちよっと考えが甘かったか。
それでも8時過ぎには会場に着いて、端ではあったが1番前の席を確保。
曇天ではあったが雨は降らずそのうち晴れることを期待して待つ。
ほとんどのプログラムは悪天候のため変更されて簡略されていた。
午前最後のF-16機動飛行は、さすがはアメリカ人のパイロット魂。低い雲をものともせずアクロバット飛行を繰り返し、すざましい音とともに観客のど肝を抜いて予定の20分をフライトした。
あまりに早くてカメラのピントが追いつかない。
お昼になると日差しが出てきて午後のブルーインパルスのショーに
期待がかかる。
後半は一時半に始まったが、通常オープニングの貴賓席に向かってライトを付けて編隊での挨拶フライトがない。
その後6機編隊でのフライトが3~4回あって、さあこれからアクロバット飛行が始まるぞと期待に胸を躍らせたら、悪天候のためこれで終わりとのアナウンスがあり。
がっかりして帰り支度をしてシャトルバス乗り場へ急ぐとこれまた長蛇の列。
しばらく様子を見ていたが全然動く気配無し。
仕方がなくJR南千歳まで歩くハメになった。
カメラが3台入っているリュックが肩にずっしりと重くのしかかる。
疲労困憊してようやく家にたどり着くと、妻の一言。
「顔が随分汚く焼けたね」。 人生黄昏