母の状態で希望あるか...

今は、福祉施設に見舞いに行く状態になって私は、母が家にいた頃
よりも精神と肉体的にも少し楽になった。
何か後ろめたさを感じ、昔のことばで「バチ」があたるのかなと思
思ってしまた。
母に「来たよ」と、足をもんでいると「まことかい」と、調子が良
ければ返事が来る。
時々、目を開けるように期待しながら声をかける。
ときたま目を開けると「まことかい、今日は 何しにきたの」と、
返事代わりのあいさつの一言だ。
母にするサービスは足を揉むことからはじめて、腹筋運動を50回
して終わるが、母の両足を持ち上げ下げをしているので腰に負担が
かかるが、 頑張ってる。
次に、バナナ2本とヨーグルト1缶、チョコレートのひとかけらと、
水をコップいっぱい飲んで終了。
40分位はかかるかな。

その母も今月の上旬に、往診の医者に「今日明日か、長くても2ヶ月
くらいですかね」と、いわれるくらい危ない状態だった。
今月の2回目の診察では「少し、もちなおしましたねぇ」と、いわれ
一日一日が生死世界を彷徨う母だ。
今、母には、何の楽しみや希望があるのだろうかと疑問を持ってしまう。
テレビを見れる分けでも無いし、耳の聞こえだって途切れとぎれだろ、
そんな中、施設にあるテレビからのニュースで介護と医療費の負担が
大きく削減検討するのと、個人負担を増やす事など報道されていた。
耳が聞こえない母であっても、陰口や意地悪見たいのは聞こえ
る事があるのだ。
聞こえた、感じたかは、わからないが急に母は、「迷惑掛けるから、
毎日こなくていいよ」と困惑顔でいいだした。
耳がとおくなりはじめは、聞こえなくて良い事が聞こえることがあるっ
てさ、その例え話浮かんだが、人は歳をとって、希望も持て無い身体
になった人や病人になって金のない人は、死ねといっているようなも
のだ。いつから、そのような日本に、なったのだろうかと思った。

15?18年前かな、グアム・サイパンに観光で行った時ことを思い
だす。
「グアムに住んでいる人は、アメリカの大統領を選ぶことは出来な
いけど、ここは、老人を大事にするんだ。老人ホームは見晴らし
い所に建っているんだ。あの山を見てご覧、大きい建物がそうだ
よ。景色の所で余生をおくって貰うのさ、日本も同じかい」と。
日本語を流暢に話する添乗員の自慢顔を。

春風するめ