たまきBLOG

本買い

昨年暮れ、毎年年末に発行されるオーデオ雑誌を買いに本屋に行った。いつもの雑誌を手に取ってレジへ向かう途中に単行本の置いてあるコーナーに寄ると、ヘニング・マンケルの最新書が置いてあった。ヘニング・マンケルは5年ほど前に「目くらましの道」と言う奇妙な題名に惹かれて読んだのが始まりでデンマークの片田舎の警部が国際事件に巻き込まれていくスケールの大きい物語で、上記の本は警部クルト・ヴァランダーシリーズの5シリーズ目でCWAゴールドタガー賞を受賞していた。大変面白かったのでそれ以来1冊目から購入して、我が書籍棚には14冊(9シリーズ)が並んでいる。今回発刊された単行本は「北京から来た男」と言う題名で上、下とも1,600円(税抜き)になっていた。欲しいと思ったが基本的に文庫本しか買わないことに決めている(価格と場所を取る)ので、、文庫本になるまで待とうかと思ったが、早くても2~3年かかるし、正月も近いし買っちまいなと、天の声が聞こえ思い切って買うことにした。3冊で軽く5,000円を超えたので正月の小遣いを心配しながら、ふと隣の早川書房のポケミスのコーナーを覗くと今度は最近入れ込んでいるユッシ・エーズラ・オールソンの「特捜部Q」の最新号(5シリーズ目)があるではないか。これはデンマークの警察小説で、過去の迷宮入りの事件をエジプト人の助手とともに解決していく物語で助手がとてもいい味を出していて、今まで文庫本で3シリーズ購入していた。よく見ると4シリーズ目も並んでいるではないか。いすれも2,000円(税抜き)となっていた。この際思い切ってもう1冊買うことにして4と5のどちらを購入しようかと悩みに悩んだが、気が付くと2冊とも手に取ってレジに並んでいた。計5冊で1万円を超えてしまった。今まで1回の本の買い物で1万円を超えたことが一度もなかったので嬉しさ半分、反省半分で家路についた。玄関を上がると目ざとく本の袋を見つけた妻が中を覗き込んで一言「また読みもしない本をこんなに買ってきたの。そのうち二階の床が抜けるよ」

                               人生黄昏

 

 

認定証頂きました。

安全性優良事業所認定証(Gマーク)と引越優良事業者認定証をそれぞれ昨年12月に                                                                                                                                                                                                                                                     頂きました。Gマークは更新、引越安全マークは新規です。

いずれも期間は平成27年1月1日より29年12月31日までの3年間です。

これで名実ともに一流会社の仲間入りできるよう、全社員一丸で精進していく所存です。

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玄関ドアに貼ってあるステッカー
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カウンターで輝く認定証の数々

皆様の暖かいご指導をお願い申し上げます。

 

 

お宝か

札幌にもようやく雪が積り年寄りには厳しい寒い長い冬に突入したが、少しだけ良いこともある。それは夏の間は閉め切った暑い部屋でパワーアンプから出る熱と戦いながら好きな音楽を聴くには体力を消耗し長時間聴くのは厳しかった。しかし今は部屋を暖めれば長い夜を音楽に浸りながら快適に過ごすことができる。

そんな訳で今日は普段あまり聴かないマーラーのLPレコードの交響曲を聴くことにしてレコード棚を探していたら大事に保管してあったそれが見つかった。

デビュー10年目の当時若手のジェームス・レバイン指揮するフィラデルフィア管弦楽団が演奏するマーラーのシンフォニーNO9で、このLPは1980年2月23日にハワイで購入したレコードである。

当時の物価は現在の1/3ぐらいだったと記憶しているが、LPの値段は今とあまり変わりなく、乏しい小遣では月1枚買うのがやっとで、マーラーのような2枚組が多いLPはなかなか買えなかったが、旅先での気持ちの高揚もあってか4~5枚のLPを買って大事に持ち帰った記憶がある。しかしこのマーラーのLPの他には何を買ったか全く覚えていない。

このLPだけ何故記憶に残っているかというと、帰国後このLPを聴いたとき、第一楽章を聴いて第二楽章を聴くためLPを裏返しにしたところ、なんと裏面は第四楽章になっていた。

びっくりして2枚目のLPを見たら第二楽章と第三楽章になっている。今まで買ったLPで第一楽章の裏面が第四楽章だったものはなかった。アメリカではこれが普通なのか。第一楽章を聴いて一旦LPを仕舞って二枚目を聴いてから又1枚目に戻るという面倒くさいことをやるのか。ひょっとしてレーベルの貼り間違いかとも思ったが、確かに裏面は第四楽章になっていた。

そうするとこれは珍品のお宝LPか。いやそんなことはありえないし聞いたこともないなどと、当時悩んだことを思いだしながら聴いていると廊下を隔てた向かいの部屋から、”うるさくて寝れないから音を小さくして” と、妻の怒鳴り声。               人生黄昏

 

感動

帰宅する車のラジオからヘレン・メリルのユード・ビー・ソー・ナイス・ツウ・カム・ホーム・ツウが流れていた。

何の気なしに聴いていたが声に艶があって若々しく聞こえた。 やがてピアノ、ベース、ドラムの掛け合いに変わってしばらくしてトランペットが加わった。

そのトランペットを聴いてあっと思った。このトランペットの演奏者はクリフォード・ブラウンではないか。

そうするとこの歌はあの有名なアルバム、1955年録音のヘレン・メリル・ウイズ・クリフォード・ブラウンのアルバムに入っている歌だ。

それにしてもこのトランペットの演奏は凄い。なんて凄いテクニックだろう。完璧な演奏だ。 聴いているうちに目頭が熱くなり思わず天を仰いだ(運転中ごめんなさい)。

彼は翌年若干25歳で交通事故に遭って 亡くなっている。演奏テクニックは当時4歳年上のマイルス・ディビスより凄いと言われていた。 彼が長生きしていたら、ジャズ界の帝王マイルスとの関係はどうなっていただろうなどと、あれこれ考えながら家に着いた。

早速レコード棚を探すと大切に保管してあったLPを見つけた。

家のオーデオで改めて聴いてみたがもう先ほどの感動は 起らなかった。

感動は時と場所を選ぶものか。

夕食時に妻に感動した話をしたら、一言、「単に歳をとって涙もろくなっただけの話でしょ」。    人生黄昏

デイリーグループ安全大会

平成26年9月17日13時よりたまき運輸デイリー部門の安全大会を北海道デイリーサービス様と合同で行いました。

講習内容は省燃費運転のポイントと日常点検の進め方です。

講師は三菱ふそうトラック・バスの羽下部長様にお願いしました。

 

 

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約1時間半、出席したドライバーは真剣な眼差しで講義の内容に耳を傾けて少しでも燃費の向上に努め

ようとする態度が見られました。

どこまで燃費が向上するかこれからが楽しみです。

日本に帰りたい...

古きをたずねて新しきを知る...。

有名な言葉だ、雑誌をみて、このことばを噛み締める気持ちに

なった。

何故、私がそのような気持ちになったか解らない。

その年齢になったのか、それとも精神的に成長したのかと、一瞬

思いを巡らせながら母に、バナナを食べている最中に「もう、いら

ない」と、言う口癖が始まった。

時々、おこる現象だ。私はその様に捉えて根気よく「バナナだよ、

もう少しで無くなるから」「口を大きく開けて」といって聞かせて、

今日まできている。

本来の目的は、朝と昼食をあまり食べないと施設の方にいわれた

時期が多かったので、この様になったのが始まりかな。

バナナを選んだのは、母の年齢と照らし合わて、昔は高価で、運動

会でしか食べれなかった物だからだ。

おいしいバナナを、食べ終わって「日本に帰りたい」と、いいだしたの

には、驚いた。

私は、「ここは、日本だよ」と、母に対しての状況判断なしで出た言葉だ。

しっかり者の母でも、まどろみの中で状況を間違ったかと。

多分、バナナの臭いで情緒不安定になったのだろうか。

何せ鼻のきく人だから。

そのようなことを思うと...、悲しくなる。

今の母は、過去を思い出すだけで、新しきを知るところに気持ち

をもっていくこと出来ないのだ。

でも、私は願うよ。

しっかりしてくれよ「母さん」と、思いを改めて。

 

 

春風するめ

母だけでは、ないんだ...

母に会うとき、意識があるだろうかと思いながらベッドに横た わっている姿を盗み観るような気持ちでいてしまう。 この姿勢が、良い事なのだろうかと自問してしまうが、答えのな い状態がつづく毎日である。 そんな中、施設にお医者さんが往診にいらっしゃるのである。 意識あれば、ほどほどの返事をする。 こんな状態にならないときは、事を成してきた人に対して敬意 を表する言葉遣いをしていた母である。 身体を診てくれているのに、どこか触って痛かったのだろう。 「痛ーい」っと、大声で叫ぶといった表現できることばを使う。 困ったものだと、思っていた。 それから、幾日過ぎたろう。 老人ホームの職員が、「○○さん、お風呂に入りましょう」と声を 掛けると、「私は、午後から入ると言ったでしょう...」と、文句と 理屈を機関銃で弾を発射させている状態の早口でしゃべって いた。 この老婆は、机に俯いてテレビも観ないでいるのに。気に入ら ないことがあると、自分の立場というか、人の手を借りないと 自分自身で身体を動かすことも出来ないのに。 文句をいうのを抑えろよと、私は悪口を言いたくなる。 まだ、誰にもそのような事を、話した事もないけど。   その姿を見て、「母だけではないのだ」と思うと、安心した。 別に大した理由もないのに、何故だろうか。 この問いかけがあるうちは、私が、正気という事だろうと思う ことにした。 春風するめ

よかれと手助けが迷惑...

 

わかっているはずなのに、周りを見ずにする親切こころが

仇になることがよくある。

このところ暑さが続く、31度もった日に母に会いに行った。

その老人施設で「寒いさむい」と大声で叫んでいた人がいた。

手をすりあわせていたので、「寒いの」と、声を掛けて手を取

ると「何するんだ」と大声で怒鳴られた。

ビックリしたが、私の声が聞こえていなかったらしい、もう一度

「寒いの」いいながら「手をとったのだよ」と、いうと爺さんは、

ニコニコ顔になった。

チョットした親切心でする行動が、一瞬の誤解を与える事が

あるのだと知らされる場面だ。

何も、相手が年寄りだからではなく、自分の都合からくる合理

的行動が起こすな安易な判断だったかも知れない。

それとも、誰かに声を掛けて、別な人に援助を求める役割を

しても良いのだろう。そこまで考える必要があるのかと。

ある程度の肝を据える行動が、いつも求められて要るのかも

知れない。

そのような思考回路が出来上がってしまうと、どのような相手

とでも話がうまくいく。

施設で働いている人達は、人生の最終の手前の人達を相手

に介護している。その事を身をもって実行している人達なの

だと、改めて彼らに頭が下がりました。

 

 

春風するめ