母に会うとき、意識があるだろうかと思いながらベッドに横た わっている姿を盗み観るような気持ちでいてしまう。 この姿勢が、良い事なのだろうかと自問してしまうが、答えのな い状態がつづく毎日である。 そんな中、施設にお医者さんが往診にいらっしゃるのである。 意識あれば、ほどほどの返事をする。 こんな状態にならないときは、事を成してきた人に対して敬意 を表する言葉遣いをしていた母である。 身体を診てくれているのに、どこか触って痛かったのだろう。 「痛ーい」っと、大声で叫ぶといった表現できることばを使う。 困ったものだと、思っていた。 それから、幾日過ぎたろう。 老人ホームの職員が、「○○さん、お風呂に入りましょう」と声を 掛けると、「私は、午後から入ると言ったでしょう...」と、文句と 理屈を機関銃で弾を発射させている状態の早口でしゃべって いた。 この老婆は、机に俯いてテレビも観ないでいるのに。気に入ら ないことがあると、自分の立場というか、人の手を借りないと 自分自身で身体を動かすことも出来ないのに。 文句をいうのを抑えろよと、私は悪口を言いたくなる。 まだ、誰にもそのような事を、話した事もないけど。 その姿を見て、「母だけではないのだ」と思うと、安心した。 別に大した理由もないのに、何故だろうか。 この問いかけがあるうちは、私が、正気という事だろうと思う ことにした。 春風するめ